当社代表が平安女学院大学で「歴史遺産と観光資源」を講義中に文化財保護目的のVR活用に着想し、ビジネスモデルを考案

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DiOについて
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私は日本の古都のひとつである京都で生まれ育ちました。 ふと自分の人生を振り返ってみると、これまでに「ふたつの幸運」に出会ったと思っています。
ひとつ目の幸運は、この古都に生まれたことそのものです。 私が生まれ育った地域は京都の中でも特に文化財が多く、自然と幼い頃から歴史や文化、伝統に触れることができる環境でした。 文化財は長い歴史を積み重ねた古いものばかりですが、そこには決して脆弱性などなく、私には「力強い」存在でありました。 その中で無意識に「生きる」ということの意味を教えてもらったように感じています。 過去多くの人々が文化財を守ってきたその意思は、後世に残る力強さを常に内在させていて、それがいま目の前に泰然と存在しているのだと、幼心に確信したものです。
もうひとつの幸運は、祖父と共に過ごした時間です。 私の祖父「信三」は、キモノの絞り染め悉皆業※を一代で創業し、事業として育てました。
※お客様や問屋からの注文を受けて意匠のアイデアを出し、様々なキモノ制作上の工程に存在する職人に指示を出しながら仕事を調整し、一反のキモノを仕上げていたディレクターを「悉皆」と呼んでいました。
祖父は明治生まれで、10歳の時に喬木から落下し重症となりました。 しかし十分な治療を施されず、背骨が曲がった状態で成長期を過ごしたそうです。 尋常小学校を卒業後に京都の呉服屋へ丁稚奉公に出され、 10数年もの苦労を経て1931年に悉皆業の商店を独立させました。 学歴もなく身体に障がいを持ちながら激動の時代を生き抜いた祖父でしたが、 私はその晩年、シルクの白生地の前で黙々と働く姿を追うばかりでした。 そこには一切の弱者としての立場が無く、むしろ威厳と共に「力強く生きる」意思が満ち溢れていたと記憶しています。
いつも私に寄り添い、私の成長を我がことのように喜んでいてくれていた祖父の姿を、いまでも私は思い出します。
成人したのち、祖父が残した繊維染色の世界にデジタル技術を取り入れ、それが現在のDiOの事業にも活かされています。幼い頃から向き合っていた文化財にも、真摯に「守る」姿勢が、いま漸くDiOの事業で芽生えつつあります。
世の中に存在する人も建物も、森羅万象がいつかは朽ち果て、 あるいは変化していきます。よって、人は健康寿命を延ばし、建物は耐震性を強化し、あらゆる劣化に抗って前に進んでいきます。しかし、私はそこに自然を圧しようとするような悪意を感じはしません。この世に生まれてきたからにはすべてのものに「力強く」存在する意思があり、それを守ろうとする想いがつづき、自然との共生の中で「生きる」ということの意味を皆で共有することで、次へと繋げられていくのだと思っています。 人は皆何かしらの「幸運」と共にこの世に生を受けているのだとしたら、寿命という限界があったとしても、強く、共生という名のワードに明日を託していかなければならないと、日々DiO事業の継続に取り組んでいます。
代表取締役 一筆 芳巳